病名を告知されてから次の受診までの間は、「どうかALSでありませんように」と祈るような気持ちだった。「ALSのはずがない!」と自分に言い聞かせる毎日を過ごした。 そんなある日、こうひらめいた。セカンドオピニオンを求めてみようと。
歯科医師である私は、セカンドオピニオンを求めると、主治医のプライドを損ねるような気がして抵抗があった。そこで「病名が病名なだけに」という枕詞と「どこへでも行きますので先生の信頼する先生を紹介して下さい」をセットに切り出してみた。

すると意外なほどにすんなりと、信頼に値する第一人者の先生を紹介してくれた。主治医の先輩の医師だった。
年配の患者は「お医者様がそうおっしゃるのだから」とセカンドオピニオンを避けることもあると聞く。医師も人の子だ。神様ではない。 セカンドオピニオンは患者に与えられた正式な権利だから、必要とあればためらうことなく求めるべきだろう。
セカンドオピニオンのために1週間ほど入院した広島県外の大学病院でも、針筋電図検査というチクチクと痛む検査を中心に受けた。 期待もむなしく「やはりALSで間違いないと思われます」と告げられた。
その後、1人で私の病室を訪れた若いドクターから「ALSという病気をいかがお考えか?」と問われた。普段から深刻な話もおちゃらけて返答してしまいがちな私。「今までは手先の器用さで仕事をしてきましたが、この先そうも行かないとなれば頭を使った仕事を考えないといけませんねえ」と、若干の強がりを含んだおちゃらけた笑顔で回答した。
すると、返答に窮したドクターの顔には「こいつ何も分かってないなぁ…」と書いてあった。あの顔が忘れられない。
しかし、今になって思えば、ドクターの思いが分からないでもない。一般的にALS患者について「気管切開し、人工呼吸器を装着するため意思疎通が困難で、筆舌に尽くしがたい壮絶な闘病生活を送るもの」と考えられていたからだ。いや、今もって意思疎通が困難な患者は多くいるのだから、あながち間違いではない。
<中国新聞 2019年(平成31年)3月20日(水曜日)掲載>