筋萎縮性側索硬化症(ALS)の症状の出方は、個人差が大きい。私が「何かが変だ」と最初に気付いたのは、2010年の夏だった。
海水浴に行ったビーチで、ライフセーバーの体験講習のようなものをしていた。砂浜に腹ばいになった状態から起き上がり、砂に刺さった前方のフラッグを奪い取る競技に、家族で参加した。柔道で鍛えた体には自信があったのに、私は1歩目の脚が出なかった。

娘と妻の目には「歳なんじゃない?」と映ったようだ。しかし、私の心の中で、何らかの歯車が音を立てて崩れた。
その後、何が何だか分からないまま症状は進んでいった。 起床時に脚がつる。片足立ちになって靴下が履けない。趣味のモトクロスバイクで転倒を繰り返す…。整形外科を受診すると、症状と検査の画像から、頸椎(首の骨)の変形で脊髄が圧迫されていると診断された。頸椎5本にわたる手術を受けた。
手術の後は、それまでのぎこちない歩行がうそのようにスムーズに脚が出た。「こりゃあ治ったぞ」と確信した。なにせ、術前にはつえを突きながら100㍍歩くのがやっと。それが、若干爪先の上りが悪いのを除けば、つえなしで3キロ歩くのもへっちゃらになったからだ。
ところが手術から3カ月を過ぎる頃から、症状は再び悪化した。今度は腕にも力が入らない。駅の地下道の階段を下りようとして、最初の一歩が出ずに頭から落ちたこともあった。妻と娘は「間違いなく死んだ」と感じたらしい。
だが私は、かすり傷ひとつなく、むんずと起き上がった。それは柔道が身に付いていたからだと断言する。これからALSになる方(?)には柔道を勧めておく(笑)。
歩き方の異変に気付いてからALSの診断に結び付かなかったのは、今もって悔やまれる。だが、これには理由がある。
診察で行う握力測定で、私はいつも55キロ程度を記録した。同い年の男性の平均は優に超している。筋力低下を主な症状とする病名は、真っ先に除外されたのは言うまでもなかろう。
<中国新聞 2019年(平成31年)4月3日(水曜日)掲載>