工呼吸器を着けるか否かを決断するには大きな勇気が必要だ。
私は病名を告げられた直後に主治医から問われ、大して考えもせずに「装着します」と返答した。だが、今考えてもいささか急がせ過ぎだった気がする。装着後の方が長いのに、どんな暮らしになるかなんて誰も教えてくれなかった。「地獄のような暮らしになるぞ、それでも装着するのか?」とアドバイス(?)をくれた人もいた。
徐々に進行する病状に死を覚悟した。頭はクリアなのに、ひたすら天井を見つめるだけの日々を想像しては絶望した。日本では合法化されていない安楽死を考えなかったと言えばうそになる。会う人会う人に病名を語っては、同情が欲しかっただけの時期もあった。

週刊誌で、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の徳田虎雄医師の連載を読んでいた旧友は「良かったじゃないか。死ぬような病気じゃなくて」と言った。「不治といわれる病気に『良かった』だと?」と不快に感じたものだが、今思えば、彼が一番、病気の本質を捉えていたのかもしれない。
介助する家族の負担を考えて、人工呼吸器の装着を拒む人も少なくない。だが、妻は「装着すればALSが原因で死ぬことはないんだって~。生きようよ。生きて!」と、悩む私の背中を押してくれた。
患者会に相談に来る患者の多くが「延命措置は受けたくない」「胃ろうも人工呼吸器もしたくない」と言う。死生観は人によってさまざまなので、個人の考え方は尊重しなければならない。しかし、私は心の中でこう叫ぶ。「分かってないなぁ、俺を見てみろ。延命措置ではないぞ。絶対に」
人工呼吸器を装着してみて驚いたのは、想像以上に快適だったこと。そして、酸素不足から解放されたのか、病状の進行がピタリと止まったことだ。妻が「こんなことなら、悩まずにもっと早くに人工呼吸器を装着すればよかったのに」と漏らすほどだ。
ALSで家庭崩壊する例もあると聞くが、わが家の場合はかえって家族の絆が増したようだ。ALSもまんざらではないな(笑)。ALSが、神が私に「必ず乗り越えよ」と与えた使命ならば「よし! 乗り越えてやろうじゃんか!」。
<中国新聞2019年(令和元年)8月28日(水曜日)掲載>