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ALSひるまず力まず13 ~患者会 妻の方が熱心だった~

ALSひるまず力まず13 ~患者会 妻の方が熱心だった~

私は現在「日本ALS協会」というたいそう立派な名前の筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者会の広島県支部長である。今は活動にどっぷりと漬かっているが、もともと積極的だったわけではない。患者や家族との付き合いに熱心だったのは妻の方だった。

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 イラスト・銀杏早苗

確定診断後、妻は広島大病院で開かれていた難病相談会に独断で出掛けた。そこでALS協会を知り、これまた独断で月1度の協会の患者相談会に参加しては、情報を仕入れてきた。そんな妻の愛と労力に感謝しながらも、シャイな私は感謝の言葉もかけないまま、知らんぷりを決め込む「ダメ亭主」だった。

どうして参加しなかったのかというと、心のどこかでいちるの希望にすがりたかったからだ。「ワシのはALSではない!」と。

そして、病状の進行した先輩患者の姿が自分の将来像に重なり、直視する勇気がなかっただけである。

 妻は先回りして、今後起こってくるであろう問題や、介護の情報を仕入れようと、自宅で療養するあちこちの先輩患者たちを家庭訪問していた。仕入れた情報は、私がショックを受けないように、妻なりのフィルターを介して伝えてくれた。

それでもなお私は患者会活動には全く参加しない「幽霊会員」を貫き通そうとしていたのだが…。そんな折に先代の広島県支部長の訃報に触れた。「頼むけぇ、こっちにお鉢を向けんでくれ!」の願いもむなしく、支部長を引き受けることとなった。支部活動について何も知らないままに。

支部の運営はボランティアで成り立つ。患者、家族、医療職、そして何より遺族が多く残っているのが特徴だ。遺族支部役員の言葉を借りると「自ら経験した自宅介護の経験と知恵をそのまま埋もらせるのはもったいない。路頭に迷う患者さんの役に立ちたい」。

 名ばかり支部長の私は、ベテラン役員の間で小さくなって、全体の流れをつかむまではおとなしくしていた。もちろん、引き受けるからには全力で取り組むのが「三保流」だ。病気に侵されると悩みを一人で抱え込みがちになる。そんな時に悩みを聞いてくれる同士がいるだけで随分と気分が上向くはずだ。そんな会でありたい。

<中国新聞 2019年(令和元年)6月12日(水曜日)掲載>