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ALSひるまず力まず2 ~告知受け死が頭をよぎった~

ALSひるまず力まず2 ~告知受け死が頭をよぎった~

神経内科の主治医に、私はこう伝えた。「なぜかは分からないが、何もしていないのに胸の筋肉が、昔CMではやったムキムキマンのようにピクつく」。すると、主治医の顔色が変わった。私は不思議な感覚に包まれた。主治医のまなざしの奥にある現実を知りたいような、知りたくないような…。

 その半年前、今考えると、病気の症状が現れ始めていたのだろう。脚が突っ張るため、頸椎(けいつい)症の手術を受けた。術後、一時的に快方に向かった。しかし一向に、ロボットのような歩き方が改善しない。業を煮やして整形外科医から紹介してもらったのが、この神経内科だった。手術の前後の検査画像を携えて受診した。

 主治医も当初は「頸椎症の影響ではないでしょうか」と話していた。しかし、何カ月後の受診だっただろうか。私は自ら切り出した。

「筋萎縮性側索硬化症(当時はALSという略語を知らなかった)か、HTLV―1関連脊髄症ではないでしょうか?」

インターネットの情報を頼りに自己診断した結果だった。ALSと脊髄症では、発症後の経過に大きな違いがあった。ALSには必ず「発症から3年から5年で死ぬ」との文言が付いていた。私はそこから目をそらし、脊髄症に違いないと自らに言い聞かせた。

 神経の病気に的を絞った検査が始まった。一向に良くならない原因が分かることに期待しながら、ALSでないことを祈りながら、検査は続いた。そして主治医から言われた。「ALSだと思われます」

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イラスト・銀杏早苗 

 予想していたとはいえ、頭は真っ白になった。「ホーキング博士のように人工呼吸器を装着して長く生きる例もありますから」との言葉は、何の慰めにも気休めにもならなかった。

一生車いすで生きるのか…。ホーキング博士の姿を自らに重ね合わせると、言葉が出なかった。診察室内では気丈に振る舞ったものの、診察室を出てベンチで待つ間に「死」というワードが頭をよぎった。自然と涙が頬を伝ったように感じられた。

妻が隣で「父さん…」と言っているようだった。その声も、どこか遠くに聞こえた。

<中国新聞 2019年(平成31年)3月13日(水曜日)掲載>