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ALSひるまず力まず21 ~ヒトとしてごく普通に接して~

ALSひるまず力まず21 ~ヒトとしてごく普通に接して~

重度障害者になり、電車内やレストランなど、いろいろな状況で差別や冷たい視線を受ける。「それなら、出掛けずに家でジッとしていたらいいのに」と言う人もいるが、それは違う。そもそも私にジッとしろというのは無理な注文というものだ(笑)。

筋委縮性側索硬化症(ALS)患者の中には、動かなくなった自分の姿を他人がどう思うかを気にして外に出られない人もいる。差別意識や偏見は、年齢のいった大人に強い人が多いようにも感じる。若者はそうでもないのに・・・。

Hirumazu21
イラスト・銀杏早苗

 人という生き物は、自分と異なった性質を持つ人間と接すると最初は戸惑い、慣れてくると自分の都合のいいように勝手に解釈し始める。偏見と差別の始まりだ。外国人をよく知ろうともせずに、出身国だけで自分より低く見る大人は周りにいないだろうか?

 「身体障害者を特別に優しい目で見てくれ」と言っているように思われるかもしれないが、決してそうではない。ごく普通に接することこそが差別をなくすものと私は考える。身体障害者のみならず知的障害者、精神障害者を含むすべての人が幸せに暮らす社会を実現するのが、われわれの世代に課せられた使命だろう。私は今後も車いすに人工呼吸器でどんどん行動して、人々の意識を変えていきたい。

 ALSのほかにも、似たような病気や、事故によって頭ははっきりしているのに身体が自由にならない人が意外なほどいる。私も元気な頃に、重い意識障害の人、寝たきりや重度の身体障害者を歯科診療する機会があった。

当時の私はコミュニケーションが取れないものと一方的に決めつけていた。ヒトとして接することを怠り、モノとして接したように思う。申し訳なさと後悔の念でいっぱいだ。たとえ反応がなく、一見コミュニケーションが不可能と思われる人も、意思を表現する手段を失っているだけで意識があるのかもしれない。

体の自由を奪われた今なら、もっといい歯科医師になれる自信があるのに。ALSになってからの人生も日々勉強だと思えば、体が不自由なことなど小さな問題に思えてくるから不思議だ。これだから ALSはやめられない(笑)。

<中国新聞 2019年(令和元年)8月21日(水曜日)掲載>